Prajna/上善如水

お気に入り、世の中に埋もれているモノと私の記録。

タグ:こころ

あなたを
「知りすぎた」としたら

あなたを
「好きになりたい」ということ。


あなたを
「顔も見たくない」としたら、

あなたを
「嫌いになりました」かも知れない。


さて、
あなたの、あなたは誰なんだろう?











あなたを
好きな「自分」になろう。



御意



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📝杼絽



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2017年1月5日



母が自身のスマホから
撮影した富士の山と夕陽



いつの頃からか
祝詞をあげるようになり

いつの頃からか
警蹕をあげだした。


平成4年9月20日から
1週間あげていた。


霊体質であるということは
他人からは見えない奇跡や
軌跡、体験を積み重ねていく。



警蹕があがらなくなった、
出なくなったということ。

暮らす場所は、古墳に
繋がり、縄文時代の憧憬を
見えなくした、という事由。



人間の記憶は

自分を過去に置き去りにし
未来への道を切り開くべく
あらゆる経験や沢山の人々や

色々な艱難辛苦と共に悩み
傷つき、学び知るであろうこと。


そのひとつひとつに
自分の心が、生きていること
そのものを堪能したり、喜び

自らを未開の境地へと誘う
けれども、置き忘れた己は
記憶を無くした魂は、

身体にも
日常にも、『誰とも違う未来』
だとか、『誰にも似ていない』
自分の至福や長所に、それが


『神からの賜物』とし感謝したり
それを特別な褒美であるかの
ように自身の暮らしを満喫し


自分が生まれ育った場所や
自分が生きてきた環境について

過去からの導きなのではないかと
自分自身のライフワークを構築し
それを生きる指針や修行とし


『自分らしさ』を突き詰めて
行くような生き方に、自らの
幸せや仕事や家族が存在し

もしかしたら、雨の日にも
真新しい傘を差して出歩き

傘であふれた街なかで何か
不思議な幸せを感じることも
生きている中では感じるかも
知れない。もしかしたら?


病気になり、治療をしている
うちに、家庭の医学を読んで
医学マニアになるかも知れないし。


人間にある不思議な能力や
奇跡とは、あらゆる社会経験や
様々な艱難辛苦によって自分が
忘れていた自分の得意なことや

自分の知らなかった自分の
能力に自分から気付けるかも
知れない。それを霊体質なら

身体で色んなリスクを感じたり
身体的な苦痛を負わされて


自分を自分で放棄したくなるかも
知れない。しかし、人間は霊性に
より開眼したり成長をし

他人からは見えない苦痛と
同じくらいに、幸せな体験も
するかも知れない。だから、


心は自分に誠実に、自分に優しく
他者に真摯に、慎ましき人間と
して、自らの為に自らが

泣いてあげられる素直さや良心を、
自分の霊性の進化や成長の為に
備えた方がいいと私なら思う。


人間になったら
自分で、自分だけは放棄せずに

自分の未来の為にきれいに笑い
慎ましく泣ける家に生きて、


『こんな自分だけど』とか
『せっかくだから』と

何でも自分で学んだ方がいいの
かも知れません。あなた任せより

私の為に、私は成長していく方が
いいかも知れませんー。


という訳で、ありのまんまに
乳癌だけど、生きています!



霊体質ではありますが。

他人様には見えない人生では
ございますが。知らない人に

知らないからと怒ることは
致しませんが、分からない人や
知りたがらない方々には、やはり

申し訳ございませんが、何の
ご縁もゆかりもないので、

私には構わないで下さいませ。


私は、ほんとの自分を生きて
いるし、生きて参りました。

嘘偽りのない真実を生きてきて、
自分に命を張り、生きています。


ほんとの肉体に、ほんとの自分に
命を張って来ました。迷わない
ように、間違わないように己を
活かしたい。


せっかく生まれて来たのだから、

自分の時間に、自分の人生に
悔やまないでいたいと思います。



1965年4月8日に入園した新宿
西大久保にあった幼稚園。

キリスト教の幼稚園。西大久保
幼稚園だ。そこは歌舞伎町。


2002年夏、
私は新宿の大久保通りに暮らし、

その幼稚園『新宿西教会』の在った
跡地にある建物の十字架を、

マンションの最上階、10階の
部屋から時々眺めていた。


4歳から6歳の3年間を通っていた
幼稚園が在った跡地にはマンション
が建ち、幼稚園は廃園になった…。

教会はビルの中に残された。


新宿は、大久保通りから
調布市に移り住むまでの暮らし。


私の環境が変わりだしたのは、
その大久保通り暮らしをする前、

渋谷区にいた独居の身内と同居をし
渋谷区の玉川通り近くにいた時から、
色々な風景を眺めることになった。


小学校時代を渋谷区の住宅街、

一時期を過ごした界隈に、私は
母の叔母の暮らす南平台町にいて
渋谷区住民に戻ったことがあった。


渋谷区の小学校に一時期通っていた
私には、渋谷区は第2のふるさと。

色々な体験をし、がんになった
母と様々な風景の中、暮らして
新宿、渋谷、調布、多摩市の中

様々な体験を繰り返しては
命を生きて来た私がいる。



@宏枝でした。










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